日本の文字と記録
私たちが文字を創造し、使用してきたモノを「記録」としますと、ヒトはどのようにして自分たちのことを「記録」してきたのでしょう。
古代の人々は、神様の言葉を記録するために、文字を発明しました。それを人々に伝えるのが政治だったのです。有名なエジプト文明のヒエログリフ、チグリス・ユーフラテス文明の楔形文字、黄河文明の甲骨文字など、いずれも神聖文字です。古代中国を例にとってみると、文字を扱える人間は、神に仕える特別な人間であり、従って歴史を司る史官も神官と同格でした。
古代日本では長らく文字が使用されませんでした。弥生時代の遺跡からは、漢字が刻まれた鏡等が出土しています。大陸との交流があり、古代の一部の日本列島の人々は漢字を知っていたと考えられます(中国の記録には通訳の人間がいたと書かれていますので言葉は違っていたと考えられます)。にも関わらず、日本列島の人々自身が文字を使用した形跡が確認されていません。一説に言葉への信仰(言霊信仰)があり、言葉そのものに力があり、文字が長らく浸透しなかったといわれていますが、定かではありません。 国家(政治的共同体)が生まれ、政治が熟成していくにつれて公文書が生まれます。大和朝廷が成立した頃に、文字の使用が確認されます。その頃は紙に記されているのではなく、竹や木で作られた竹簡・木簡というものに記されています。またそれに付随して、硯や水滴(墨入れ)など道具も多く出土しています。その頃には各地に国の機関(役所)がありその跡地からは、それらのたくさんの遺物が出土しています。
このように日本の「記録」は起源され、現在まで脈々と伝わっていきます。日本では大陸のように、激しい国家間の対立が少なかったせいか、「記録」の保存の重要性が高まらなかったのではないかと私見します。その性格が今日の日本人の性質に受け継がれているような気がいたします。
ヘリテージサービス事業部アーカイブ担当 北島 大介
市町村埋蔵文化財調査員として従事。
埋蔵文化財・歴史博物館の学芸員として資料の管理・保存、企画展の立案・実施・運営・広報普及に携わり、その後現職に至る。