三菱一号館美術館の開館
この4月より当社アーカイブ研究所を担当することになりました小谷允志(こたに まさし)です。本欄執筆者の一人に加わりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。なお小谷は記録管理学会会員(前会長)、ARMA(国際記録管理者協会)東京支部理事、日本アーカイブズ学会会員です。
4月6日、東京・丸の内に三菱一号館美術館が開館しました。現在、開館記念展として「マネとモダン・パリ」展が開催されており、早速覗いてきました。超近代的な高層ビルが立ち並ぶ丸の内のオフィス街にあって、クラシックな赤レンガ造りの建物は何かしら懐かしく、安らぎの空間ともなっています。
元々、この建物は三菱が明治27年(1894年)、丸の内初のオフィスビルとして英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により建設し、昭和43年(1968年)に解体したものをできる限り当時の建物に忠実にというコンセプトのもとに、同じ場所に復元したものです。明治45年(1912年)までに 20号館まで建設されたこれら赤レンガの建物群は、「一丁ロンドン」と呼ばれ、日本ばなれしたユニークな景観を生み出していました。三菱地所は4月6日付日経新聞の全面広告で、「丸の内から新しい都市文化を。」というキャッチコピーでこの美術館の開館を伝えています。由緒ある三菱一号館が復元され、新しいアートの発信基地となったことは、確かに素晴らしいことです。
また三菱村といわれる丸の内界隈は、丸ビル・新丸ビルの建て替えなど相次ぐ再開発により、近年の隆盛ぶりは目を見張るものがあります。一時期、休日になると、ほとんど人影のなかったこの地区のビル街が、しゃれたブティックやカフェ、レストランの進出により、その姿を一変しています。
では華やかな再開発の成功の過程で、なぜ三菱地所はこのような一号館の復元を考えたのでしょうか。実は、活況の中である時、三菱地所がはたと気付いたことは、ここには“歴史”がないということでした。何か街の核となるものが欲しい。そのような発想から三菱一号館の復元が考えられたといわれています。
イギリスの歴史家E・H・カーによると、「歴史とは現在と過去との対話である」といいます。ならば、その対話の仲立ちをするのが、建物・遺跡などの物資源であり、文書・記録などの情報資源、すなわちアーカイブズです。歴史を伝え、歴史を語るこのような資源がなければ現在と過去をつなぐことはできません。そうなれば過去から学ぶこともできないということです。その意味で、今回の三菱一号館の復元は、歴史の価値、重要性ということについて、改めて考えるヒントを与えてくれるものといえましょう。
アーカイブ研究所所長 小谷允志
記録管理学会前会長、ARMA(国際記録者管理協会)東京支部顧問、日本アーカイブズ学会会員、日本経営協会参与、ISO/TC46/SC11(記録管理・アーカイブズ部門)国内委員。
著書に『今、なぜ記録管理なのか=記録管理のパラダイムシフト』(日外アソシエーツ)など。